<イエロー・マジック・オーケストラ> 1978年、デビューアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」を発表。「テクノポリス」「ライディーン」などを含む2枚目のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」(79年)が100万枚を超える大ヒットとなる。この年の欧米ツアーに、渡辺香津美さん、矢野顕子さんらが出演した。83年に「散開(解散)」宣言するも、93年にアルバム「テクノドン」を発表。東京ドームで「再生」コンサートを開く。2000年代以降、高田漣さんら若手ミュージシャンともライブで共演した。
◆リスクに耐えた演奏力 ギタリスト・渡辺香津美さん
僕がYMOのワールドツアーに参加することになったのは、細野さんの作戦だったと思います。彼には、海外、特に米国の聴衆は、YMOの音楽を理解できないのではという懸念があったのでしょう。「ジャズのアドリブをふんだんに聴かせてくれ」と言われました。そこをきっかけに自分たちの音楽を受け入れてもらおうと考えていたのだと思います。
でも、生のギターの音ってすごく実体感があるというか、生々しい。そのままYMOにシフトすると、水と油みたいになってしまいます。YMOのサウンドに合わせるべくクールでタイトな音が出るギターを特注しました。演奏面でも、譜面通りに弾くとジャズマンは「かっこ悪い」と思いがちなのですが、四分音符をそのまま弾いて音楽的に成立させるために、音色やタイミングをじっくり吟味するのは、自分にとって新鮮で面白い体験でした。
(共演した)松武秀樹さん(シンセサイザープログラマー)とは「電圧で音程が変わるシンセサイザーを海外に持っていって、コンセント一つ抜けたらおしまいという中でよくやった。リスキーなんてもんじゃなかったなあ」という話をよくします。国内ツアーでは、実際データが全部飛んでしまって、シーケンサーが機能しないことがありました。回復するまで「デイ・トリッパー」か何かを演奏した記憶があります。みんな弾けるのだから、何かあれば生で演奏すればいいという信頼感がありました。
五十歳を過ぎて分かったのが(ツアーを企画した)村井邦彦さん(アルファレコード創設者)のブランディングのすごさです。ニューヨークやロサンゼルスの超一流のホテルを借りて、会見を開き、ライブ会場にリムジンで降り立つ。「日本からすごいスターが来た」と思わせる計算された演出なのですが、当時の自分には少し照れくさかったです。現地には自分のジャズ仲間もいましたからね。
坂本さんは、リムジンに乗った時点でもうなりきっていましたけれど、僕自身も今振り返ると相当ハイになっていたと思います。向こうへ乗り込んでいってだれも聴いたことがない音楽をやるというのは、とてつもなく不安だったし、なりきることによって精神の均衡を保っていた面がありました。YMOを成立させるために、自分自身を変えていった部分が、三人にもきっとあったのだと思います。 (聞き手・中山敬三)
<わたなべ・かずみ> 1953年、東京都生まれ。71年に「インフィニット」を発表。「17歳の天才ギタリスト」と評される。坂本龍一さんのファーストアルバム「千のナイフ」(78年)にも参加した。
◆知的なかっこ良さ 衝撃 音楽評論家・スージー鈴木さん
(※中略)
◆変幻自在 天才の三角形 音楽家・高田漣さん
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
<考える広場>YMOとは何だったか?
2023年6月20日 07時20分 東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/257748
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Source: 芸能トピ