少しずつタレント外での仕事を広げるなど、新たな一歩を進み続ける2015年ころに、知人を通じて知り合った男性と結婚、子どもも授かった。「温かい家庭を持ちたい」という、子どもの頃からの夢が叶った。
「この頃はタレントでいる自分が、普段の自分でしたので、家庭を持つことの方が遠い世界になっていたんですよ。まさか自分がママになれるとは、当時思いませんでした(笑)」
映画製作を進めつつ、コスメのプロデュースや写真展など、本来やりたかった活動へと気持ちが向かうと同時に、タレントとしての自分への違和が次第に強くなっていった。漠然と「30代を前に独立したい」という想いが芽生え、2016年には長年世話になった太田プロを退所、自ら会社を立ち上げ個人活動へとシフトしていく。
タレントとしてはまさに旬ともいえるだろう年齢での新たな門出、不安はなかったのだろうか?
「全くありませんでした」とニコリと笑みを浮かべ答えた。
いわゆる「ママタレ」へのシフトという選択肢もあったはずだが、おかもとは「ママタレは自分には絶対にムリだと、独り言のようにつぶやいていました」と、さわやかに否定した。
「なぜって、辻希美さんに勝てる要素が1つもない(笑)。辻さんほど完成された方に並ばなければ、仮に少しだけ成功したとしても長続きはしないでしょうし、無理がたたるだろうなと思いました」
夢であった幸せな家庭を持ち、自らのやりたかった仕事へ従士、映画製作も着々と進む、まさに充実の日々……のはずだった。
「良い母親でいなくちゃ!仕事も頑張らなくちゃ!と、自分の脳と心と体に素直になりすぎて、ちゃんと休めていなかったんです」
日々の疲れの積み重ねが岡本の心を蝕んでいった。2018年、精神疲労の限界を迎え精神病棟への措置入院が決まる。
「実は入院翌日に仕事が入っていたのですが、勝手に『もう引退します』とSNSで発信してしまって。そうした判断がまともにできないぐらいピンチな状態でした」
全てを失ったからこその気づき
おおよそ3ヶ月にわたる入院は過酷そのものだった。入院中に離婚が成立し、仕事に着手できず愛する息子たちにも会えない孤独な状態で、自分を見つめなおす日々を過ごす。
「入院生活中に本当に全てがなくなりました、本当にゼロとしか言えなくて」
だが、つらいばかりではなかった。全てを失ったからこそ、気づけたこともあったという。
「息子の存在、息子への愛1つに救われたんです。その時に、『愛とは“捧げるもの”なんだな』と強く思ったんです。これまで『人に良いように見られたい』と欲や期待をもって生活してきました。けど、そうした見返りを求める生き方って、何も返ってこないとつらくなるだけ。けど、息子は常に自然と私に笑顔をくれる。その息子のためだけに私は愛を送り続けよう。それ以外はもういらないと考えたとたんスッと心が軽くなって、人にも自分にも優しくなれるんだと気づきました。この気づきを私の息子にちゃんと伝えたい。そして、“愛すること”に悩む子ども・大人に伝えたいなと思ったんです」
まるで生まれ変わったような気分になった。「愛とは“捧げるもの”」をテーマにした作品の企画を練った。そうして生まれたものが、YouTubeで公開中のアニメ『ウシガエルは、もうカエル。』だ。大切な家族のために無償の愛を捧げるウシガエルの物語は、まさにおかもとの想いが見事込められていた。
全文はソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/ccd3f044bd4d87d79edd0a4f01c3ae4879715664?page=2
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Source: 芸能トピ