【昔は日本一売れていた】少年チャンピオンの黄金時代 70年代のピークには250万部を誇る

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1: なまえないよぉ~ 2023/01/14(土) 17:08:04.71
今回はあるマンガ雑誌の絶頂時代を調査。

「板垣恵介さんの刃牙シリーズが好きで、30年以上『週刊少年チャンピオン』を愛読しています。先日、家のそばのコンビニで買いそびれたので、会社の近所で買って持っていたら、上司に見つかってしまいました。何か言われるのかと思ったら、『チャンピオンか、昔は日本一売れていたのになあ』とだけ。そんなに売れていたことがあったんですか? 探偵局で調べてください」 (会社員・47歳)

『週刊少年チャンピオン』は現存する少年週刊誌としては最後発で、1969年7月の創刊。当初は隔週刊だったが、70年6月から週刊化された。
執筆陣には、発行元・秋田書店の新書判単行本シリーズ「サンデー・コミックス」の常連だった手塚治虫、さいとう・たかを、横山光輝、石ノ森章太郎らが名を連ねていた。
前年創刊の『週刊少年ジャンプ』が本宮ひろ志ら新人マンガ家を中心にしたラインアップだったのとは対照的だ。

創刊当初は発行部数24万部と出遅れたが、72年春に2代目編集長に就任した壁村耐三が、「少年マンガの王道路線」と「毎号読み切り連載」という大胆な改革を打ち出したことがターニングポイントになった。

壁村は、柔道マンガとしてスタートした水島新司の『ドカベン』を野球マンガに路線変更。71年スタートの横山光輝『バビル2世』と『ドカベン』を除いた連載を一旦打ち切り、新連載は原則1話完結式としたのだ。ここから生まれたのが、手塚治虫の『ブラック・ジャック』だった。少年誌では人気が低迷していた手塚は、この作品で復活を遂げた。

ギャグでは、山上たつひこの『がきデカ』、鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』、ホラーでは古賀新一『エコエコアザラク』、藤子不二雄Ⓐ『魔太郎がくる!!』、つのだじろう『恐怖新聞』、学園マンガでは石井いさみ『750ライダー』、望月あきら『ゆうひが丘の総理大臣』とヒットを連発。77年には200万部を達成して、『週刊少年ジャンプ』と少年週刊誌トップを争った。その後、79年の1月22・29日合併号で250万部を記録して名実ともにナンバーワンになった。

しかし

全文はソースをご覧ください

2023.1/14 15:00
https://www.zakzak.co.jp/article/20230114-GE7FVRKI7RLELEUG6KQIJAGZU4/

1977年5月2日号表紙。「日本一の少年誌」の文字がある
https://i.imgur.com/2IHSw2R.jpg

manga

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Source: 芸能トピ

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