“日本一忙しいアイドル”と呼ばれた浅香唯(52)は、往事をそう振り返った。
だがそれは『スケバン刑事Ⅲ 少女忍法帖伝奇』(フジ系。’86~’87年)と出会って以降の話で、デビューから約1年半は不遇の時代を過ごしていた。
「初めてのテレビ出演はつくば万博の会場から生放送されていた『EXPOスクランブル』(TBS系)という番組。司会の男性アナウンサーのアシスタントを務めたのですが、一言もしゃべらずに番組が終わってしまったのを鮮明に覚えています。
新聞広告で見た副賞の『赤いステレオコンポ』が欲しくてオーディションを受けただけで、元々アイドルになろうと思っていたわけではなかったので、自分の置かれた状況がよくわかっていなかったんですね。デビュー曲の『夏少女』はオリコンチャート100位台でした。普通はガッカリするところだと思いますが、私は『レコードを買ってくれた人がいたんだ』って喜んでいましたから(笑)」
浅香は「デパートの駐車場の隅で、段ボールを並べただけの”ステージ”で歌ったこともあります」と苦笑いする。
「周囲にいるのは主婦の方ばかりで『なんで私、ここで歌っているの?』と思うこともありました。それでも、すぐ隣でやっているタイムセールや北海道物産展の声に負けてたまるか! って気持ちで頑張っていましたね(笑)」
キャリアの転機になった『スケバン刑事』のオーディションでは、宮崎訛りが功を奏したと回想する。
「監督やプロデューサーさんの前で『スケバン刑事Ⅱ』の台本を読んだのですが、南野陽子さん(55)の土佐弁のセリフを見たら宮崎弁のスイッチが入ってしまって、なぜか宮崎訛り全開でしゃべってしまったんです(笑)。
それを面白いと言ってくださって、その後も『木登りは得意ですか?』『むしろ、それだけが得意です!』なんてやりとりが続きました。初代の斉藤由貴さん(55)や南野さんみたいな”カッコいいお嬢様”とは違う山猿みたいな子を求めていたみたいで、無理がなかったのがよかったのかもしれません」
当初、放送は半年間の予定だったが、好評のため1年に延び、映画化までされた。アクションシーンも多く、撮影は過酷で生傷が絶えなかった。
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2022年09月25日NEW
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Source: 芸能トピ