この日の子供たちの間でヒットしている絵本「大ピンチずかん」にかけた「芸能人大ピンチずかん」。ギャル曽根は社長令嬢から極貧へ、一気に転落したことがあるという。
父が建設会社を営んでおり、裕福な家庭に生まれ育った。「お金持ちの方だったと思います。10LDKで庭があって、離れにおばあちゃんたちが住んでいて、お手伝いさんがいて」と振り返った。食卓にはふぐが並んだり、マグロの解体ショーが行われることもあったという。ギャル曽根は当時から、姉や弟とともに大食いだったという。
ところが、そんな恵まれた環境は、小学校3年の時に突然終わった。「父の会社が倒産して、父と母が離婚して。父が会社を倒産させる時に作った借金が、母に来ちゃって。父がいなくなって」。莫大な借金を返済するため、豪邸を手放すことに。それでも、裕福な当時と変わらない、多くの食事が並ぶ生活は続いたという。ギャル曽根は「子供が遠慮するもんじゃない」という母の口ぐせを振り返った。
休日には山へ行ってフキを採ったり、ハンバーグにはひき肉に食パンを混ぜてかさ増しするなど、創意工夫を凝らして子供たちの腹を満たしてくれたという。
当時の好物を聞かれると、「赤いご飯が好きでした」と答えた。MCの中居正広が「赤飯好きなんだ~」と話すと、ギャル曽根は「赤飯じゃないんですよ」と意味深な回答。“赤いご飯”とは、トマトジュースで炊いたご飯だという。「チキンライスとは全然味が違います。大量に1本では絶対作れないんですよ。トマトジュースだと大量に作れるんですよ、1本で。だからだと思うんですけど」と、母の知られざる生活の知恵を明かした。
ギャル曽根 令嬢から転落…極貧生活を支えた“赤いご飯”とは?「赤飯じゃないんですよ」
[ 2024年4月5日 21:25 ] スポニチ
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Source: 芸能トピ