相田翔子(54)「我慢してた糸がプツッと切れ『行っちゃおうか?』って」生放送直前に逃亡した当時の極限状態を振り返る

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1: なまえないよぉ~ 2024/04/05(金) 07:13:26.90
■緊張とプレッシャーのWink時代「新幹線の連結部分にしゃがんで仮眠も」

── そんな裏方志向だった相田さんが高校卒業後、Winkでデビューして大ブレイクします。当時のことを今、どんなふうに思い出しますか?

相田さん:とにかく、いつも緊張していましたね。人前が苦手なのに大勢の前で歌わなきゃいけない緊張とプレッシャーが常にありました。当時は生放送も多かったですし、緊張しないように人一倍練習して本番に挑んでも、練習の半分も発揮できないこともあって。そんな自分が歯がゆくて、楽屋で泣くこともありました。

── 過密スケジュールも大変ではなかったですか?

相田さん:常にあちこち動き回って、楽屋に入って衣装を着て歌って…の繰り返しで、今、自分はどこにいるんだろう?という状態でした。レコード店へのキャンペーンも津々浦々回りました。移動中にちょっと仮眠をとるんですが、新幹線の座席がないこともあって、早智子と連結部分にしゃがんでコックリコックリしたり。

当時はマネージャーさんに当たってしまうこともありました。女の子がふたりいるとけっこう強くなっちゃって(笑)。でも、ふたりでワーッと当たっても、いつもニコニコしていました。申し訳なかったなと反省しています。

行った先のレコード店の方たちもいい人ばかりでした。皆さん「応援してるよ」と言ってくれて、すごく励まされました。そのときの笑顔は今も忘れられません。

■伝説の伊香保温泉逃亡…今だから語れる当時の極限状態

── そういうタイトなスケジュールのなか疲れてしまって、鈴木さんと生放送直前のテレビ局から伊香保温泉へ逃亡するという出来事がありました。

相田さん:あれはもう大事件でしたよね。ふたりのなかで我慢して我慢して張りつめていた糸が、プツンと切れちゃったんでしょうね。「行っちゃう?」「行っちゃおうか」ってふたりの気持ちがひとつになって、気づいたらタクシーに乗っていました。帰ってきてから猛反省しましたが、あれがきっかけでスケジュールを考慮してもらえたり、自分たちの意思を社長やスタッフの方たちに伝えることができるようになりました。

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4/4(木) 6:32配信

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Source: 芸能トピ

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