また1人、大御所アーティストが天国へ旅立った。今年は、1月に元YMOの高橋幸宏さん(享年72)、ロックバンドのシーナ&ロケッツの鮎川誠さん(享年74)、3月には坂本龍一さん(享年71)と、1970年代から活躍していた人気ミュージシャンが亡くなっていたが、谷村さんまで逝ってしまった。
3月から闘病生活をしていることは公表されていて、毎年、生放送のフィナーレで加山雄三(86)とともに「サライ」を歌っていた日本テレビ系24時間テレビ『愛は地球を救う』も欠席。往年のファンたちを心配させていたが、再びマイクを握ることは叶わなかった。
谷村さんを知る音楽関係者によれば「来年アリスとしてもう一度舞台に立つことを目標に闘病生活を送っていたが、病状は日に日に悪化。谷村さんの知人や友人たちも連絡がとりにくくなり心配していたところだった」とのことだ。
日本中が口ずさんでいた名曲『サライ』
息の長い歌手人生だった。太平洋戦争直後の1948年に大阪で生まれて、高校時代からフォークグループ『ロック・キャンディーズ』を結成。19才だった1968年にデビューした。1971年には、盟友の堀内と『アリス』を結成。当初は売れずに苦労したが、谷村さんがラジオ番組『MBSヤングタウン』や『セイ!ヤング』のDJとして人気者になり、1975年の『今はもうだれも』がヒットした。その後は『冬の稲妻』、『涙の誓い』、『ジョニーの子守唄』、そして、オリコンチャートや音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)で1位を取った『チャンピオン』(1978年)などで、国民的な知名度を獲得した。
ソロとしても幅広く活躍した。1978年に作詞作曲した『いい日旅立ち』は、当時の超人気アイドル山口百恵に楽曲提供し、大ヒットに導いた。自身も1980年の『昴-すばる-』が60万枚セールスを記録して、NHK紅白歌合戦に初出場。同曲は、中国でも空前の大ヒットを飛ばして、中華圏を中心にした東アジアでも、その名を轟かせた。後の2004年からは、創立96年の歴史を誇る中国・上海音楽学院で、教授も任されていた。
また、1984年の女優・小川知子(74)とのデュエット曲『忘れていいの-愛の幕切れ-』でも、歌唱中に谷村が小川の胸元に手を入れるセクシーな演出で、お茶の間を大いに賑わせたこともあった。
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10/16(月) 15:01
あの歌声をもう一度聞きたかった(時事通信フォト)
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/4cc62dd2603affacfe11baff1aa11c5ae389ff86&preview=auto
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Source: 芸能トピ