■いじめられっ子が一転して“毒舌キャラ”に「私がなんとしてでも母と弟を守る」
──山田さんは現在、タレント業と並行して、昨年設立された一般社団法人MwM JAPANの代表理事をされているんですね。
【山田まりや】40歳になる数年前に15歳からお世話になっていた事務所を円満退社しました。時代が変わってテレビの仕事も先細っているし、かと言ってそれを事務所のせいにするのも違う。当時、社長だった野田義治に「社長のお葬式代くらいは稼ぎたいですから」とか言って(笑)、これからは自分で頑張ってみようと決めたんです。
──7月28日放送の『朝生』では、居並ぶパネリストに臆することなくキッパリ物申す姿がバラエティ全盛期を彷彿させました。
【山田まりや】魑魅魍魎の芸能界に鍛えられましたね(笑)。あの頃は箸にも棒にも引っかからないことを言っても埋もれてしまう、なんとか爪痕を残さなきゃって必死でやってるうちに“毒舌キャラ”と批判されたこともありました。でもそのおかげで“もの言う若者代表”として10代の頃から政治家の方と対談させていただいたり、発言することを恐れなくなったのは大きいですね。
──もともとそういうキャラではなかったんですか?
【山田まりや】ぜんぜん、むしろ子どもの頃はいじめられっ子でした。ただ14歳でスカウトされて、初めてビキニを着たときに1回、自分を殺したんですよね。私はなんとしてでも母と弟を守る。そのためには絶対に芸能界で売れなければって。
■グラビアアイドルへの違和感を払拭させた“育ての父”野田社長の言葉
──山田さんはデビューと同時にお母さんと弟さんを連れて家を出たとか。
【山田まりや】父はお酒を飲んで暴力を振るうタイプで、それに対して何もできない母親が不憫で仕方がなかったんです。それこそ10歳下の弟を身篭っているときにも──。小さい頃は「私がママを守ってあげる」が口癖でしたね。自分の履いているスカートで母をすっぽりと包んで。
──ヤングケアラーという言葉もなかった時代に、15歳で一家の大黒柱になる決意をされたんですね。
【山田まりや】売れる保証も何もない私の「出世払いしますから、母と弟と一緒に住むマンションを用意してください」という言葉に、野田社長が二つ返事で「わかった」と答えてくれたんです。ご存知のようにあんな見た目で、今だったらパワハラとして問題視されそうなことも言う人でしたけど(笑)、15歳の小娘を子ども扱いせずに同等に扱ってくれた器の大きい人でした。
──ブレイクのきっかけとなったグラビアの仕事についてはどう感じていましたか?
【山田まりや】それまでスクール水着しか着たことがなかったですし、恥ずかしくて仕方がなかったです。また、「巨乳はバカだ」と言われていて、テレビでもグラビアアイドルはちょっと低く見られていた時代でした。今みたいにコンプライアンスなんてものもなかったですしね、いろいろひどかったです(苦笑)。
──それでもグラビアを続けられたのは、やはり家族のためだったのでしょうか。
【山田まりや】もう1つは野田社長の「女性タレントは落ち目になると脱ぐ。だけどうちは服を着せていく事務所だ」という言葉も大きかったです。名前と顔を売る手段なんだと割り切ったら、ビキニでポーズを取る恥ずかしさも吹き飛びました。
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2023/08/19 08:40ORICON NEWS0
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Source: 芸能トピ