「新春かくし芸大会」はなぜ生き残れなかったのか 1994年に迎えた大きな曲がり角

エンタメ
daidougei_diabolo_man

1: なまえないよぉ~ 2022/01/04(火) 19:54:19.83 _USER9

「輝く!レコード大賞」(TBS)と「紅白歌合戦」(NHK)が年の瀬に終わった。年始は「新春かくし芸大会」(以下、かくし芸大会、フジテレビ)を見るのがかつての定番だったが、「かくし芸大会」は既に幕を閉じている。どうして消えたのか? それを考察すると、テレビと芸能界の変遷が浮かび上がる(視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区)。

「かくし芸大会」は1964年に始まり、1980年には48.6%という驚異的視聴率を記録した怪物番組だったが、47回目の放送となった2010年に幕を閉じた。その興亡を辿る。
 この番組を企画し、当初は演出も手掛けたのは元フジ社員の故・すぎやまこういち氏である。東京オリンピックの開会式でも使われた「ドラゴンクエスト」シリーズの音楽をつくる一方、ザ・タイガースの「花の首飾り」(1968年)などヒット曲の数々を作曲した異能の人だ。
「かくし芸大会」は、すぎやま氏と渡辺プロダクションの総帥だった故・渡辺晋氏が親しい間柄だったことから生まれた。2人の関係がなかったら、とても成り立たない番組だった。
「かくし芸大会」が生まれた1964年というと、渡辺プロの全盛期。スターの大半が渡辺プロに所属していたと言っても過言ではない。その協力がなかったら、約100人からそれ以上のタレントたちを集められなかった。
 初回で披露された芸はミッキー・カーチス(83)の「落語」や故・梓みちよさんの「タップダンス」などだが、2人とも所属は渡辺プロ。人気絶頂だったハナ肇とクレージー・キャッツも出演し、番組の華となったが、やはり同プロ。登場したほぼ全員が同プロのタレントだった。
 渡辺プロは出演者を番組に送り出していただけではない。それより大きかったのは「かくし芸大会」を制作し、著作権も持っていたこと。フジは放送権を所持しているだけだった。
 タレントのギャラ、技術費、美術費など制作費の一切を渡辺プロが負担していた。同プロの経済的利益は大きくなかったはずだが、その分、思い通りの番組がつくれた。正月から所属タレントを画面に登場させることが出来た。
 もし、フジが著作権まで持とうとしたら、ギャラが莫大になってしまう。番組はつくれなかっただろう。ギャラが収録当日分だけで済めばいいが、舞踊や中国語劇などの芸の習得には1週間以上かかることも珍しくなかった。
 また、指導者への報酬や稽古場代なども必要だった。無数のタレントたちを抱えていた渡辺プロでないと、つくるのが困難な番組だったのだ。

2022年01月02日

アイドル時代を迎え…
     ===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/01021101/?all=1

続きを読む
Source: 芸能トピ

タイトルとURLをコピーしました