さまざまな名物企画が行われる「オールスター感謝祭」。その初回放送からMCを務め、今年で32年となる島崎。当時18歳だった島崎がMCに大抜擢された理由を探るべく、番組スタッフが初回放送から参加する関係者に取材を行った。
しかし、感謝祭のスタッフたち全員から「わからない」と回答された。そのため、同局をすでに退社している初代プロデューサーの加藤嘉一さんに取材を申し入れた。MCの中居正広は「『うたばん』の最初の人」と加藤さんの説明をしつつ「なかなかこういう取材とか受けてくれない方なんですけど、たっぷりと3時間話してくれた」と伝えた。
加藤さんは企画当初に思い描いていた司会者2人は島田紳助さんとタモリ。だが、初回放送が金曜日の夜ということで、裏番組となるミュージックステーションと被ってしまうためタモリの起用を断念。
そのため、もう1人は「淡々ときちっと進行してクイズを出題してくれる人に徹したらいいんじゃないか」と、進行に長けた人物として草野仁の名前を挙げたという。
島田さんと草野がタッグを組んだ「感謝祭」の前身番組として放送した「クイズ!当って25%」は大きな話題を呼び、視聴率13・6%の好成績を収めた。すると、放送翌日に社内で「このクイズ番組、春と秋の特番でやった方がいい」という声が挙がった。
当時TBSが春と秋に放送していた大型特番を加藤さんが担当を務めており、リニューアルを検討していた時期と偶然重なった。そして、2つの特番が合わさってできたのが「オールスター感謝祭」だった。
「オールスター感謝祭」の初回放送を3カ月後に控えた7月に放送枠が金曜日から土曜日に変更となった。
これにより、スポンサーとの兼ね合いなどもあり司会者を1人変更しなければならない事態に。先に司会のお願いをしていた島田さんを外すことはできなかったため、草野さんに謝りに行って受け入れてもらったという。
放送まで残り3カ月という状況で大物司会者へのオファーは困難。当時バラドル全盛期ということもあり、アシスタントには井森美幸や森口博子の名前が挙がった。だが、加藤さんは「それでいくのは普通過ぎるからつまらない」と感じた。島田さんにも相談すると同意見の答えが返ってきた。
アシスタントには「島田紳助で司会の力量は十分すぎる大変な力量を持った人。だから相方には司会術みたいなものを求めなくてもいいんじゃないか。うまいツッコみをしなくて十分。一生懸命ひたむきにやってくれる人がいい」ということで島崎の名前が挙がった。
名前が挙がった理由は加藤さんが深夜番組の「青春!島田学校」のプロデューサーも務めており、ロケ現場に同行した際に島崎の行動だった。石川県に塩づくりに行ったロケで「とにかく一生懸命やっていた」とし「カメラの前田家でやる芸能人は結構いっぱいいますが、カメラが回っていないところでも人がやらないような事をやったり、裏方的な資質があることも大事なこと」と人柄も含めて候補となった。
そして島田さんに相談に行った際に「ほとんど同時くらいのタイミングで“和歌子なんかおもしろい”となった」と起用が決定した瞬間を振り返った。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a7ef951090b37bc570852d2e1471fcd8778d16f
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Source: 芸能トピ