おりもはインタビュー開始前に言った。
「これはナーバスな問題です。僕は新たなことを言って騒ぎを大きくするつもりはないですし、どちら(告発者側とジャニーズ事務所)の擁護、弁護をするつもりもありません。ただ、(性被害で)傷ついてしまった人たち、僕を育ててくれたジャニーズ事務所の状況、何よりファンの方々が心配です」
おりもは中1の13歳でジャニーズ事務所入りした。東京生まれで児童劇団に在籍していた1966年末、劇団仲間の永田英二に「ジャニーズに遊びに行ってみない」と誘われ、同事務所を訪問。初対面のジャニー氏から「You、いいね。おいでよ」とスカウトされたことがきっかけだった。
翌67年1月には、後にフォーリーブスとなる4人の“ジャニーズjr.”が結成された。同年8月、日劇ウエスタンカーニバルに初出演。グループ名が正式にフォーリーブスに決まった。永田もメンバーだったが、小6だったため、同10月には青山孝史(ター坊)と交代。そのタイミングで、テレビ番組レギュラー出演が決まった。他の2人は北公次(コーちゃん)、江木俊夫(トシ坊)で、最年少のおりもはマー坊と呼ばれた。
「先輩グループのジャニーズがいるだけの小さい事務所でした。レッスン場は代々木にあるビルの4階。僕は都内の自宅からそこに通う日々でした」
鍛錬されたフォーリーブスは、ステージで革命的なパフォーマンスを披露し始めた。
「コーちゃんが、アイドルで初めてステージでバク転をして話題になりました。そして、早着替え、マジックを取り入れたショー、4人がブランコに乗って上から登場したのも、フォーリーブスが最初でした。全てがジャニーさんのアイディアでした」
68年9月5日、『オリビアの調べ』でレコードデビュー後、4人は瞬く間にトップアイドルになった。ヒット曲を連発し、70年からNHK紅白歌合戦に7年連続出場。ファンには日常的に追っかけられたが、おりもが25歳の78年にグループは解散した。
「当時は今のようにアイドルが長く活動できる時代ではなく、解散となりました。ただ、僕はジャニーズ事務所に残り、94年の41歳までお世話になっていました」
北公次の被害告発はショックも「OB、現役を変な目で見ないでほしい」
解散後、それぞれが芸能活動をする中で、北が発売した自著でジャニー氏からの性被害を訴えた。おりもにとっては、寝耳に水の出来事でショックを受けたという。
「コーちゃんからは何も相談はなかったですし、ただただ驚きでした」
解散から約23年後の2001年、4人はグループ再結成を決意。活動を始める前に、おりもは江木とともにジャニーズ事務所を訪れ、メリー喜多川副社長(当時)と対面したという。
「ジャニーズ事務所によって誕生したフォーリーブスとしての活動の許諾を得るためでした。とても厳しい方ですが、『後ろ(後輩)が見ているから、恥をかかすことはしなさんな』と言っていただきました」
その言葉を受け、50歳前後になっていた4人は体を絞り、歌と踊りのレッスンを重ねた。そして、02年1月29日、東京・中野サンプラザで復活コンサートを開催。会場は超満員となった。
「何よりうれしかったのは、ファンの方々が喜んでくれたことでした。雪で凍える寒さの中、出待ちする方々も大勢いました。その後も、僕たちが降りる新幹線のホームが追っかけファンであふれたりもしました。日本から来ていただいた方々と楽しんだニューカレドニアでのイベントも最高の思い出です」
再結成後の活動は、別の事務所がプロデュースしていた。だが、ジャニーズ事務所は口を出さず、見守ってくれたという。4人は深く感謝していたが、青山が09年1月28日に肝臓がんで死去。グループとしての活動は、09年3月29日のラストコンサートで終了し、12年2月22日には北が肝臓がんで旅立った。北が亡くなる前日に残したメッセージには、こう記されていた。
「ありがとうを言うのもこれで最後です 今まで応援ありがとうございました。そして最後にどうしても言わせていただけるならジャニーさん メリーさん ありがとうございました 感謝しています」
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2023.05.20
13歳から41歳までジャニーズ事務所に所属
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Source: 芸能トピ