中森明菜 元プロデューサーが語る「カムバックの可能性」

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1: なまえないよぉ~ 2022/11/14(月) 18:45:16.89
謎多き女ーー。中森明菜(57)ほど、ミステリアスで波瀾万丈な半生を送ってきたアーティストはいないだろう。スキャンダラスなゴシップとは裏腹に、無垢で愛嬌のある人柄と表現豊かな歌唱力は知る人ぞ知る一面だ。彼女の才能をいち早く理解し、カバーアルバム『歌姫』で新境地を開拓したのは、音楽プロデューサーの川原伸司氏(72)である。松田聖子『瑠璃色の地球』や井上陽水『少年時代』などを手がけてきた川原氏が〝目撃〟してきた「素顔の明菜」とは。

◆「私と勝負するつもりですか?」

かつてワーナー(ミュージック・ジャパン)で中森さんを担当したスタッフたちが「彼女をなだめすかして仕事をしてもらうのが大変だった」という話をしているのを見ることがあるけど、あれってちょっと違うと思う。

当時のワーナーなど外資系レコード会社は、海外から届く音源をいかに売るかを考えるのが中心で、アーティスト本人を管理するノウハウが弱かった気がします。アーティストは、自分一人で才能を磨き上げて表現しているんだから、生意気に決まっているということを理解した上でアーティストと向かい合っていかないと。

そのことを前提に、アーティストとコミュニケーションを取って「なるほど」と相手に納得させるのが僕らプロデューサーの仕事なんです。当然、対等に音楽的意見を交わせる知識も必要だし、アーティストの意見に「それはちがうよ」と反対する時には、代案も必ず用意する。これは中森さんの時もそうだし、大滝(詠一)さんもそうだったけど、代案がない状態で反対することはやめよう、とお互いに決めていました。

中森さんと最初に仕事をしたのは、彼女が自殺未遂を図った直後(※)でした。当時、彼女が所属していた事務所の社長が古い友人で、彼から「川原と明菜は音楽に対する考えが似ているし気が合うと思うから手伝ってくれ」と頼まれたんです。お互い理屈っぽいし、洋楽好きも共通だと思ったんでしょう。

実際に中森さんと会ってわかったんですが、アメリカはもちろんヨーロッパのロックやポップスを本当によく聴いていました。ある時、僕がエリック・クラプトンの『Tears In Heaven』をギターを弾きながら鼻歌で歌っていたら、彼女が「川原さん、私と勝負するつもりですか?」と言ってきた。もちろん冗談だったんでしょうが、生半可な知識や実力の歌手じゃないとすぐに感じましたね。

※彼女が自殺未遂を図った直後……明菜は89年7月11日、当時交際していた近藤真彦の自宅浴室で左腕を切り、自殺未遂を図った

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https://news.yahoo.co.jp/articles/c77128a431f398d3a3d0e6f3cc295158083e3307

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Source: 芸能トピ

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