梅宮アンナ、父・辰夫さんの“終の棲家”に移住も8か月でギブアップの衝撃

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1: なまえないよぉ~ 2022/07/27(水) 22:05:38.31 _USER9
「アンナさんなら、もうここには住んでいませんよ。いい買い手が見つかったとかで、喜んでいました。6月27日か28日だったかな。近所で仲がよかった人には母のクラウディアさんと一緒に引っ越しの挨拶をしたようですが、“父が大事にしていた家を、できる限り守っていきたい”なんてあんなに語っていたのにね。アッサリしたもんですよ……」(近所住民のひとり)

“漬物御殿”と呼ばれていた
 神奈川県南西部にある真鶴─。太平洋に続く相模湾を一望できる小さな町。その山間にある4階建ての真っ白で瀟洒な家。昭和の銀幕スター・梅宮辰夫さんが’19年12月に息を引き取った場所だ。

「梅宮さんは、東京の渋谷区松濤のマンションに40年近く住んでおり、真鶴の家は別荘でした。’16年に十二指腸乳頭部がんを発病して、十二指腸と胆嚢を全摘出。闘病生活が始まったことで、悩んだ末、より高値で売れる松濤のマンションを売却したのです。真鶴を“終の棲家”にすると決めて」(ワイドショーデスク)

 子どものころから釣りが趣味だった梅宮さんは、’91年に真鶴の地に別荘を建てた。

「山の斜面に沿って建てられており、素晴らしい景色が眺められます。バブル期でしたから、建物だけで1億円を超えていたそう。梅宮さんが漬物のチェーン販売で成功したお金を注ぎ込んだ別荘だから、地元の人は“漬物御殿”なんて呼んでいました」(地元の不動産業者)

 毎年夏になると、家族で滞在。真鶴の隣町・湯河原の焼き鳥店『鳥助』の宗政広明さんは、梅宮さんと一緒に過ごした日々を懐かしむ。

「地元の仲間たちで“梅辰会”なんて名前をつけて、梅宮さんを囲んでよく飲みました。真鶴の自宅にも、みんなでお邪魔しましたよ。忘れられないのは、亡くなる2年前に“いつまで俺のことを梅宮さんって呼ぶんだ、それをやめろ”って言われたこと。それで男たちは“オヤジ”と、女性は“お兄ちゃん”とか“パパ”って呼ぶようになってね」

「Uber Eatsないじゃん。無理無理無理」
 そんな地元民に愛された父の思い入れのある家に、娘の梅宮アンナが住むことに。
自身のインスタグラムで高らかに宣言したのは、’21年9月30日のこと。

7/26(火) 21:01配信

週刊女性PRIME
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Source: 芸能トピ

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