俳優・市村正親と篠原涼子の長男、市村優汰が警察から任意の事情聴取を受けていたと、11月28日号『女性セブン』が報じました。
同誌によると、優汰がコンビニで外国人女性の胸を触ったとして警察に通報され、任意の事情聴取に応じたというものでした。事件化には至りませんでしたが、ネットには「典型的二世タレント」と揶揄するような書き込みが見られたのでした。
“二世”は育てる楽しみがない
芸能界にはたくさんの二世タレントがいますが、ひと言で二世といっても業績は人それぞれ。NHKの連続テレビ小説『ごちそうさん』でヒロインを務めた杏は、俳優・渡辺謙の娘ですし、同じく『ブギウギ』の主役を演じた趣里は、俳優・水谷豊と伊藤蘭を両親に持ちます。宇多田ヒカルの母は、70年代に一世を風靡した歌手・藤圭子さんで、彼女たちはもはや親の名前は不必要と言っていいでしょう。
反対に、大きなチャンスに恵まれたものの、期待されたほどの成果を残せなかったり、ごくごく少数ではありますが、警察のお世話になってしまう二世もいます。そこで、今日はなぜ二世はヤバ化しやすいのかについて考えていきたいと思います。
そもそも、今の時代に“二世ウリ”は即していないように思うのです。“推し活”という言葉は大分浸透したように思いますが、ファンと“推し活”との違いは何でしょうか。ある芸能人のパフォーマンスや世界観に酔いしれ、ついていくのがファンだとすると、自分が応援することでその芸能人が成長し、より大きくなっていくのを楽しむのが“推し活”ではないでしょうか。
“推し活”は育てる楽しみと言っていいのかもしれません。しかし、二世タレントの場合、親がビッグネームであればあるほどデビュー直後から大きなチャンスが舞い込むので、「私が育てた」「デビューした時からビッグになると思っていた、私の目に狂いはなかった」という楽しみがないのです。
加えて、現在の日本社会は格差が広がり、“親ガチャ”という言葉が示すとおり、経済力のない親のもとに生まれると大学に進学できないなど、人生の選択肢が狭まってしまうことが明らかとなっています。そういうつらい日常を忘れるためにエンタメがあり、芸能人がいるはずなのに、親ガチャに当たったように見える二世タレントがデビュー直後から大きな仕事をしていると、浮世の厳しさを再度見せつけられるような気がしてしまう。
そうなると、二世タレントに罪はないのですが、「単なる親の七光りじゃん」と揶揄されがちです。二世がデビューすることが悪いという意味では決してなく、話題性や知名度の高さをうまく使いつつ、親とは違うカラーを打ち出してくことがポイントになるのではないでしょうか。
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篠原涼子長男の警察トラブルは “危機感のなさと鈍さ” 「ヤバい二世」への転落から守る大人の役目
https://news.yahoo.co.jp/articles/6410274cd7ce8c2b3b30d55f1163b126ee78b0a2
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Source: 芸能トピ