◇学生時代のテレビ出演きっかけでアナウンサーに
竹俣アナは、1998年6月27日生まれ、東京都出身。6歳から将棋を始め、14歳から20歳まで女流棋士として活動。タレントとしてクイズ番組やバラエティー番組にも出演していた。早稲田大学政治経済学部を卒業後、2021年にアナウンサーとしてフジテレビに入社した。
女流棋士になるきっかけは、小学校に上がる前の春休みに、書店で子供向けの将棋の本を見つけ、興味を持ったことだった。小学生の頃からめきめき頭角を現したという。
学生時代は、女流棋士の肩書とともにタレントとしても活躍した。アナウンサーを目指そうと思ったのは、学生時代に同局の「Mr.サンデー」(日曜午後10時)にコメンテーターとして出演したことがきっかけだった。
竹俣アナは、「キャスターの椿原慶子アナウンサー(2013~19年に出演)が、メインキャスターの宮根(誠司)さんから情報を求められたり、生放送中に原稿の内容や尺が急に変わったりしても、『はい、分かりました』と冷静かつ臨機応変に対応されているのを見て、アナウンサーというプロフェッショナルの世界は面白そうだと興味を持ちました」と明かす。
同局の入社試験では、最終面接で「カラオケの十八番(おはこ)は?」と聞かれ、「カラオケにあまり行ったことがなく、十八番といえるようなものがなかったので、とっさの判断で『紅(べに)が紅(くれない)を歌います!』と言って、X JAPANさんの『紅』を歌いました。『紅に染まった、“この俺を~”』のところを、『このべにを~』に替えて歌ったのを覚えています」とエピソードを明かす。
◇ニュース読みに女流棋士の経験が生かされた
入社してから、女流棋士をしていたことが仕事に生かされる場面もあった。「将棋のニュースを担当される先輩に『この棋士はどういうタイプの人?』とか、『これはどういう意味?』と用語についてなど、尋ねられることはたびたびあります」と語る。
タイムキープにも女流棋士の経験が生かされている。「ニュースを伝えるとき、秒数のカウントダウンが耳につけているインカムに入ってくるのですが、将棋の対局で秒読みの中で最善の手を探すことをずっとやってきたので、時間が迫ってきても落ち着いて対応できるというところは、この仕事に生かされているなと感じます」と話す。
「落ち着いていて緊張しているように見えない」と言われることが多いというが、「私自身、アナウンサーとしての仕事はすべて初めての経験ですし、緊張はしています。ただおそらく、同年代の人に比べると、人生の中で、将棋の対局など緊張をする場面に立ち向かう回数がかなり多かったので、緊張を表にあらわさないことに慣れているのかもしれないです」と自己分析する。
ニュースを読むときは、表情をコントロールできることも強みにもなるようだ。「ニュースをお伝えするときは、原稿の内容によっても表情で雰囲気を変えることもあるので、表情のコントロールがしやすい部分は仕事に生かされているかもしれないです。ただもう、小さい頃からの積み重ねなので、自覚はなくて……」と照れながら語る。
フジテレビ竹俣紅アナ:入社2年目で「めざまし8」に抜てき X JAPAN「紅」の替え歌で入社試験を突破
2022年05月22日 毎日キレイ
https://mainichikirei.jp/article/20220521dog00m100004000c.html
https://storage.mainichikirei.jp/images/2022/05/21/20220521dog00m100004000c/002_size6.jpg
https://storage.mainichikirei.jp/images/2022/05/21/20220521dog00m100004000c/004_size6.jpg
続きを読む
Source: 芸能トピ