m.c.A・Tの事務所で行われたインタビュー。彼の持つ独特のオーラに緊張していた取材陣に対し、冒頭の一言で場を和ませた。
ラッパーであり、ミュージシャンでもあり、プロデューサー業もこなすm.c.A・Tの誕生の前には、富樫明生という人物の存在が欠かせない。
「m.c.A・Tより先に、富樫明生というプロデューサーという存在がいたんですね。MCっていうのは、マスターオブセレモニー(master of ceremony)からきていて、そこから取った『m.c.A・T』と名乗る前から、A・Tという名前はあったんです。富樫がプロデューサーとして関わることになって、そのままA・Tという呼び名を残した。それを引き継いで、m.c.A・Tが誕生しました」
最初は富樫明生が曲を作り、m.c.A・Tが歌詞を作るという流れだった。「それが全部、自分でやるようになってしまった」という。
「1990年はまだ、ラップという要素がポップスの中に組み込まれていなかった。当時からスチャダラパーさん(ヒップホップグループ・88年結成)やいとうせいこうさん(ラッパー、小説家。80年代から日本語を使ったラップを用いた先駆者的存在)が活動されていたんですが、やっぱりラップ=ライム(韻を踏む)っていうルールにこだわるがゆえにポップスというジャンルにはなりづらかったんです」
ラップでありながらも、誰もが口ずさみたくなるようなキャッチ―なサビ。「Bomb A Head! 」や「ごきげんだぜっ! 」というような独特のセンスはどのようにして生まれたのだろうか。
「メロディーと歌詞を作るときには、アクセントのある言葉選びを重要にしています。内容はもちろん大切なんですけれど、まずテーマを作るのが一番大切だと思っている。そこから、なるべく知られている言葉を使いたいけど、その中でも同じ意味で印象に残る言葉を選ぶようにしています」
■日本語ラップの楽曲作成に試行錯誤
今では当たり前となった日本語ラップだが、まだ90年代初頭は黎明期だった。より聞きやすい楽曲にするために、試行錯誤する日々。
「自分でも色々な言葉を使ってみた。でも一般の人からするとラップなのに、ダジャレに聞こえてしまうとか壁があったんです。俺はどうしてもラップ要素のあるポップスを作りたかった。そこで韻よりも日本語のアクセントにこだわってリズム感を大事にすることを目指した。
アクセントのある言葉を選んで、グルーヴを出すってことに気づいたんですよ。そうやって曲作りをしたら、ポップになった。今だったら、Zeebraさん(ヒップホップMC・93年から活動)や、R-指定さん(Creepy NutsのMC・13年から活動)がライムを科学的に考えて楽曲を作っていますよね」
ラップといえば、今年リリースされヒットしたCreepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」は、彼がいう「リズムを大事にした楽曲」ではないだろうか。m.c.A・Tの視点でどう感じるか尋ねてみた。
「あの曲はやっぱり音のアクセントが面白いんじゃないですか。後韻というよりも、頭にアクセントを持ってきている。たとえば『Bomb A Head!』(94年)もそうだし、サビの『Bling-Bang-Bang-Born』もそうですよね。やっぱり濁点をつけると音として面白くなるっていうのはありますね」
邦楽の音楽シーンに、ラップが根付いたのは94年ではないかとA・Tさんは語る。
「俺はデビューが93年で、『Bomb A Head!』でブレイクしたのが94年。EAST END×YURIの『DA.YO.NE』や、スチャダラパーと小沢健二さんの『今夜はブギー・バック 』がリリースされた年。だから94年はラップにとって、エポックな年だったんじゃないかな」
m.c.A・T自身は、ファンクに強く影響を受けている。彼らの楽曲の聴きやすさは、ラップだけにこだわっていない部分が強いからではないだろうか。
「俺のルーツはファンクなんですよね。ジェームス・ブラウン(アメリカ出身の歌手・1933年生)や、ジョージ・クリントン(アメリカ出身の歌手・1941年生)のPファンクが大好きだったんです。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
7/30(火) 7:02 双葉社 THE CHANGE
https://news.yahoo.co.jp/articles/d190bd958bb6016bbfb1f8bbf6cac0d750a67f80
m.c.A・T 撮影/三浦龍司
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Source: 芸能トピ