SNSやネット掲示板における「〇〇しなかった」系のアピールだが、今回のようなテレビの長時間放送やオリンピックなどの大掛かりなイベントが開催された際には「見なかった」「行かなかった」とする声がその都度上がる。ITジャーナリストの井上トシユキ氏は「ある種のマウント取りだと考えられます」と分析する。
■「自分は大掛かりなイベントに踊らされる情報弱者ではない!」というアピールか
この手のアピールについて過去のものを見てみると、毎年7月下旬(もしくは8月上旬)の音楽フェス「FUJI ROCK FESTIVAL」に対しては、それこそ毎年のように《俺は今年もフジロックに行かなかった》といった投稿があった。また、さらにさかのぼれば2021年に開催された東京オリンピックに対して、《オリンピックはかけらも見なかった パラリンピックも見ない》といった、強い信念の下にテレビ放送を見なかったとする声が上がっていた。
これら、誰に対してともつかぬ「見なかった」「行かなかった」アピールに対する井上氏の分析はこうだ。
「このようなことを投稿する人たちは、『自分はテレビの大規模な番組や大掛かりなイベントに踊らされる情報弱者ではない!』と明かしつつ、他のネットユーザーに対してマウントを取っているのだと思います。大規模な番組や大掛かりなイベントは多額の広告料や協賛金で運営されていますが、その点が、この手の人たちには『ディープステートから流れてきた資金で運営されている』といった、陰謀論的な解釈をしやすい対象なのです。『自分はそんな怪しいイベントには反対だ!』という意思表示として『見ない・行かないアピール』が行われているのでしょう」
それらの“事実”を見抜いている自分は、他のネットユーザーよりも上位の存在という思いにひたれるということか。
「一方、この手の『〇〇しなかった系』の投稿は他のユーザーも行いますから、『ネットには同志がいるんだ!』という“発見”も出来ます。これら、『自分のように目覚めた人もいる』と思えることもまたこの手の陰謀論の楽しみ方であり、その結果、『目覚めた人』同士では、先ほど指摘したマウント取りとは一転して共感が広がることになります」(井上氏)
「見ない・行かない」アピールなどせずに、実際にそれをやってみた方が単純に楽しめると思うのだが……世の中には物好きがいるものだ。
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Source: 芸能トピ