石原さとみ、輝かしいキャリアに“焦り”「自分で自分に飽きてしまっていた」

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1: なまえないよぉ~ 2024/05/17(金) 12:39:39.53
 2003年に『わたしのグランパ』でスクリーンデビューした石原さとみ。そこから21年という歳月が流れたが、「新人のつもりで現場に入った」という主演映画『ミッシング』が公開を迎える。7年前、メガホンをとった吉田恵輔監督(※吉=つちよし)に、石原自ら「吉田監督の作品に出演したい」と直談判し、紆余曲折を経て完成した映画が今作だ。なぜそこまで石原は吉田監督の現場にこだわったのだろうか。そこには石原の強い思いがあった。

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■吉田監督の映画『ヒメアノ~ル』での森田剛の演技に衝撃

 NHK連続テレビ小説『てるてる家族』での主演や、NHK大河ドラマ『義経』のヒロイン、数々の連続ドラマ…、輝かしい俳優人生を送っている石原。しかし本人は10代、20代、30代と年齢を重ねるごとに、さまざまな思いを抱えていたという。

 「10代は好奇心と勢いでやってきたのですが、20代になると、夢が叶っていく一方で、失うものもあることを学び、いろいろなことへの気づきがありました。さらに30代になった頃に『このままじゃいけない』と焦るようになっていったんです」と石原は言う。

 その焦りについて「自分で自分のことが飽きてしまっていた」と表現する。自分が飽きてしまっているのだから、世の中に飽きられてしまうのは必然だと感じたことが焦りにつながっていたのだ。

 「自分はどうやったら変われるんだろう、どうしても変わりたいという欲求が強く、かなりナーバスになっていました。そんな時、吉田恵輔監督の映画『さんかく』(2010年)を見て衝撃を受けたんです。その後も、吉田監督の作品はすべて拝見しているのですが、特に『ヒメアノ~ル』(2016年)に出演されていた森田剛さんが、これまでのパブリックイメージとは正反対の役をやられているのを見て、強烈な印象を残していて。「今の私には絶対にオファーが来ないような世界」だと感じました。でもその世界に行きたいと強く思って、監督に直談判しに行ったんです」。

 しばらくの時間が経ち、「やっぱりダメなのかな」と思っていた頃、「脚本を書きました」と連絡があったという。石原が吉田監督に直談判してから3年の歳月が流れていた。

 「連絡をいただいた時は、叫んでしまうくらいうれしかったです。『そう、こういうのをやりたかった!』と思って。絶対やりたいという気持ちしかなかったです」。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/ae9fec54d28982136bda53dde2e673013917dac3

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Source: 芸能トピ

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