「非難すればいい」という思考停止
世間には『◯◯する力』『◯◯力』という本が溢れていますが、私たちにもっとも求められるのは、「訂正する力」ではないでしょうか。
日本人の最大の問題は「訂正」が非常に苦手だということです。それを痛感したのが、ジャニー喜多川氏による性加害をめぐる騒動でした。
彼の行為は犯罪であり、今回のジャニーズ事務所の対応も批判されて当然です。被害者の勇気ある声をきっかけに、ジャニーズ事務所や芸能界、黙認してきたメディアが正されていくのは、大切なことでしょう。
ただ同時に、今回の騒動では「訂正」が必ずしもうまくいっていないように見えます。「ジャニーズを批判しない人間はおかしい」という同調圧力による一方的な糾弾になっているのは、それはそれで考えものです。
これまで、芸能界やマスコミは喜多川氏が作り上げたジャニーズ事務所のルールに従属し、性加害に沈黙してきました。しかしひとたび状況がひっくり返ると、ジャニーズのやることは何でも否定するという構図になってしまった。根本的には、「空気」に支配されていることに変わりありません。つまり「黙っていればいい」という思考停止が、「非難すればいい」という思考停止に入れ替わっただけ。その中間にあるはずの、多様な考えを拾い上げることはできていないわけです。
「ブレない」と「リセットする」
「訂正」というと、相手の間違いを指摘したり、相手を論破したりすることを思い浮かべる人も多いでしょう。しかし私が考えている訂正とは、他人の意見を無理やり変えさせるものではありません。
過去の出来事を今とは違った形で「再解釈」し、これまでとは別の意味を見出す。「今までは○○だと思っていたけど、じつは××だったんじゃないか」と読み替えることで、ものごとを建設的に前に進めていく。そういった前向きな方法論こそが、私が主張したい「訂正」なのです。
今の日本人はどちらかというと、変化を嫌い訂正を許さない国民と言えるでしょう。
政治家は間違いを犯しても言い訳ばかりで謝罪せず、官僚も誤りを決して認めません。’21年の東京五輪で想像以上に費用が嵩んだときも、目算を見誤ったのは明らかなのに、絶対に訂正しようとしませんでした。
その一方で、日本人はやたらと「ブレない」とか「リセットする」といった言葉を好みます。これらは一見すると正反対のように見えますが、実は本質的に同じ問題を抱えています。
一見すると筋が通って見える「ブレない」姿勢は、変わることを拒否すると言い換えることもできます。とくにこの30年ほどは「ブレない」姿勢が過剰に評価され、結局は既得権益を守ることにつながってしまった。それはジャニーズ問題でも明らかでしょう。
「野党」も「保守」も訂正できない
一方、これまでのすべてをリセットする、更地にしてやり直す、という極端な考えももてはやされがちです。ところが、すべてをリセットしてひっくり返したいという欲求も、現実を直視できていない点では「ブレない」ことと根は同じ。異論を吟味したり、対話することを最初から拒絶していて、言ってしまえばどちらも「幼稚」です。
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Source: 芸能トピ