──明智光秀役の依頼を受けた時の心境をお聞かせください。
「ああ明智光秀かな…と思っただけでした(笑)。どんな仕事でもそうで、歴史上の有名な人の役が来ても、私がそれをやるんだ…と思うだけなんです。私の中では織田信長でも徳川家康でも同じで、特別に身構えたりはしません。私に来た役であれば、分かりました、と引き受けるのが私の仕事です」
──2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」では長谷川博己さんが明智光秀を演じていましたが、事前に過去の作品を見たりはしましたか?
「ないですね。私は元々あまり見ないので、長谷川さんがやられていたのも見ていません。かえって見ない方がいいというのもあります。不勉強と言われるかもしれませんが、明智光秀についていろいろ調べるということもしません。調べて頭でっかちになって、それに沿ってやろうとすると、自分がどこかに行ってしまいます。与えられた脚本の中で想像してやるだけですね」
──この作品の明智光秀像に関してはどう考えましたか?
「あまりいい人には書かれていません(笑)。演出の方からも『嫌みっぽくて、ちょっと嫌な感じの人』と言われたので、それに沿って自分の中にあるものを出す作業をしました。嫌みな部分、人を見下すような部分は自分の中にもあります。それは人間ならば誰もが持っているものだと思います。いくら演出の方に言われても、自分の中にないものは出せません。自分の中にあるものであれば、どんなに嫌なものでも出していきます。それを出すのが私の仕事です」
──自分の中の嫌なものを出すというのはどんな心持ちでしょうか?
「普段出せないものを出すのは気持ちがいいです。みなさんも、普段そういうものを出す機会があまりないでしょう?私はかみさんとの間でいざこざが起きた時には、そういうものが出ます(笑)。自分の言葉にトゲがあることが分かります。生活の延長線上にあることが芝居に役立つ場合もあります」
──光秀は家康を饗応するシーンで恥をかきますが、そのような体験はご自身にありますか?
「劇団で、なぜ自分はできないのか…と思ったことはあります。私が劇団に入ったばかりの頃、ある先輩の俳優が私の芝居を見て『へたはうつるから…』と言ったんです。私は恥ずかしくて、そこにいられない気分になりましましたが、事実だったので、もう少し頑張ろう、いつか見返せるようになろうと思いました」
──あの饗応シーンで印象に残っていることはありますか?
「とても緊張感のあるシーンでした。岡田准一さんが演じる織田信長が扇子で光秀を叩く場面がありましたが、岡田さんに『早いです』と言われました。私は扇子が来ると思うとどうしても反応してしまって、扇子が来る前に動いてしまっていました。岡田さんは擬闘の才能がある方です。カメラアングルを考え、私の動きが速すぎると、扇子が当たっていないことが視聴者に分かってしまうと思ったようです。岡田さんとはこれまで3、4回ご一緒していますが、そういう時に遠慮せずに言えるところが優れていると思います。松本潤さんが演じる家康は、光秀がむんずと器をつかんで駆け出す時、ふてぶてしい表情をしていました。それを見た時、ああ、いい表情をしているな、と思いました(笑)」
──光秀を演じていく中で、ご自身のアイデアが生かされた場面はありますか?
「光秀は私の故郷・岐阜で生まれたと言われています。セリフに方言があった方が面白いのではないかと思ったので、演出の方に言ったら『それは面白いですね』と言ってもらいました。最後の方のシーンになりますが、相手を愚弄する意味で『くそだわけ』という方言を使っています」
──次週に描かれる「本能寺の変」はいかがでしょう?
「作り手側としては、これまでと同じようなものをお見せしても視聴者に喜んでいただけないと思っています。ちょっと違う本能寺の変が見られると思います」
◆牧 元一(まき・もとかず) 編集局総合コンテンツ部専門委員。テレビやラジオ、映画、音楽などを担当。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/07/16/kiji/20230716s00041000465000c.html
続きを読む
Source: 芸能トピ