「胸熱」をテーマにトークを展開した3人。その中でジュニアが生死をさまよったバイク事故について触れられた。バイク事故によりジュニアは芸能生活が「終わったと思った」と当時の心境を明かした。
事故の詳細について聞かれると、吉本興業を辞める社員の送別会に向かっていた道中で「タクシーが停まってて、その横を通り抜けようと思ったら出てきたわけ」と振り返った。
この危機的状況に対して「バイクを一回立ちゴケしてタンクを修理したとこやった。これ、また倒したら、またバイクを手放さなあかんの嫌やった」とバイクを手放したくないという思いが勝った。
それにより「もうちょい頑張ってみようか…っていって、もうここに(顔の目の前に)等間隔で歩道に建っているいわばガードレールがここにあったわけ」と顔面を強打。ヘルメットは被っていたものの「その日からやで。忘れもしない。3月26日、“暖かくなってきたなぁ”からフルフェイスから半キャップに変えてん」と顔は守られていなかった。
事故をした直後のことを「覚えている。一瞬意識が戻んねん」と、救急車のサイレンとバイクの前輪が回っていることを認識したという。さらに道路には大量の血だまりができており「え、マジか」と思いつつも「これ(バイクを)動かさんと大渋滞や」と自身の状態よりも事故による渋滞の心配をしていたという。
だが、「一切身体動かへんねん」と体が言うことを聞かなかった。「え、え、え。マジか、マジか、マジか」と思っているうちに再度意識がなくなった。事故直後に「痛い」という感覚があったのか聞かれると、「全くない」とし「寒いねん。めちゃくちゃ寒い」と明かした。
次に意識が戻ったのはストレッチャーの上。そこでは大量の出血により体温が下がっていたため震えが止まらず「毛布!毛布!」という声が飛んでいたという。そして、次に意識が戻ったのは「6日後くらいにICUで意識戻んねん」と事故から6日後だった。
そこでマネジャーから「作家になりましょう。2年間治療に専念して作家なりましょう」と提案された。言葉の意味が飲み込めなかったジュニアは「鏡見して」と自身の顔の状態を確認し、「これ2年でいけるか?みたいな」と当時の心境を語った。
さらに「15歳でこの世界入って、この世界しか知らんし、もう復帰できへんねやったら、生きててもなぁみたいな。正直」と生きる希望を失った。ベッドの右側に治療している機材があり「蹴り倒したら死ねるかもなみたいな」と、蹴り倒そうとしたが右足が骨折して動かなかったため最悪の結末は免れた。
そして一命を取り留めて一般病棟に移ると「すぐにガラガラって(扉が)開いて、板尾(創路)さんが“何してんねん”って」と、師匠と仰ぐ板尾がお見舞いにやってきた。板尾は「はよ帰ってこい」という言葉と雑誌4冊を置いて去って行った。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
千原ジュニア 生死さまよったバイク事故振り返る 「痛い」感覚なく「寒いねん。めちゃくちゃ寒い」
6/26(月) 4:00 スポニチアネックス
https://news.yahoo.co.jp/articles/59b74fa31d2594c0d7f71f972235ade40008abf7
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Source: 芸能トピ