「大スターの間取りが知りたい」をテーマにトークを展開。田原は6歳から18歳まで山梨県甲府市で暮らしたがその後、東京・飯倉片町にあるジャニーズの合宿所で生活するようになった。
田原は「合宿所は僕の家の10倍ぐらい大きかったね。間違いなく150平米。そのぐらいはありましたね」と証言。当時「3年B組金八先生」に出演中で「マッチ(近藤真彦)もよっちゃん(野村義男)一緒に(暮らしてた)」と話した。
スタッフから「ジャニーさんも(一緒に)お住まいだんったんですか?」と問われると「もちろんここがジャニーさんの住まいですよ。(ご自宅を寮のようにしていた?)そうそう」と答えた。
田原は合宿所に住み始めて1年後にデビューしたため2年ほど生活し、それから原宿の合宿所に移った。飯倉片町の合宿所が「150平米だとしたら(原宿の合宿所は)250平米。表参道の路面のワンフロア。リビングは40畳はあったな」と回顧した。
田原はジャニー喜多川氏の隣の部屋で「(一人部屋ですか?)もちろん、20畳ぐらいあったんじゃない?」と話した。近藤真彦の他に「少年隊の3人。男闘呼組もいたなぁ。その後半には光GENJIの子たちもいたし」と豪華な顔ぶれだったようだ。
また当時の給料事情についても「何しろこの時代のジャニーズっていうのは会社側の方が強いですからね。月給30万円で死ぬほど働いた10年間」と明かした。
「ある日僕は気が付きます。これだけ仕事して、これだけコマーシャルやって。相当な稼ぎがあるんじゃないかな。それをメリーさんに交渉しました。渋々OKしてくれて、それから歩合になったのかなみたいな。最初の一歩っていうか。強固な扉を叩いたというか壊したのは結構、僕だったり」と話した。
月給30万円だったがレコード印税が何千万円もあったため「月給30万円がどうでもよくなるの(笑い)」という理由もあったようだ。
合宿所について「でっかい部屋をもらって。おいしいものを食べれて、洗濯はしてくれるわ。もう快適。6年いた。ジャニーさんも『早く出てけ』ぐらいな感じ(笑い)。僕は渋々自分の買ったマンションに引っ越した」と話し、笑いを誘っていた。
2023年5月29日 23:10
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/264779
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Source: 芸能トピ