中でも僕が出演させてもらっていた「進め! 電波少年」(日本テレビ系)は特別だったんじゃないでしょうか。アポなし、突撃、そしてヒッチハイクの旅と、無茶ぶりで危険極まる伝説のバラエティ番組でした。
実は、僕と松本明子さんがMCに抜擢されたのも偶然だったんです。「ものまね王座の裏側」(フジテレビ系)という特番で、イベントの楽屋で僕と松本さんが楽しそうに話している様子が放送されました。これを見ていた日本テレビの上層部の方の息子さんが、「お父さん、あの2人、すごく面白かったよ」と推してくださったそうなんです。それで、決まったみたいなんでね。あの息子さんにはちゃんと菓子折をもって行かないといけなかったですね(笑)。
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体当たり企画で強烈だったのは、やっぱりコモド島でのロケでした。コモドドラゴン(コモドオオトカゲ)との対決とかね。縄紐に餌をくくり付けておびき寄せるんですけど、その喰いつきっぷりというのが、もう想像を絶するほど素早いのなんのって。恐怖のあまり縄を強く引っ張りすぎたらコモドドラゴンの口から餌がポ~ンと外れちゃったんですよ。しかも、餌の落下地点は僕の足元‥‥。
そこから先の爆走シーンはほとんど覚えていないですね。ただただ、逃げる、逃げる。鬼のディレクターからは「おい、こっちに来るな!」なんて非情な声をかけられながらでしたね(苦笑)。
他にも、砂漠のロケでは車がエンストして脱水症状で死にかけました。炎天下の中、持参していた水もなくなって、だんだん意識が朦朧としてくるわけです。
そんな状況の中で「松、頑張れ! 松、頑張れ!」と言われた時、ついに堪忍袋の緒が切れましてね、〝このまま死ぬんだったら主従関係なんていらないだろう〟って気持ちになって、「何がですかっ!」って、すごく反抗的な態度をとりましたね、あの時ばかりは。
「出張ホスト詐欺を注意しに行く」っていう企画もやりました。当時、「出張ホストを募集し、応募した若者から登録料のお金をだまし取る」っていうのが社会問題になってたんで、「出張ホストになるつもりで行け!」と、指令が出て、内部調査ロケに行きましたね。
最初は喫茶店で温和に話していましたが、「なんか松村さんに似てますね」と言われ、あっという間に拉致されちゃったんです、僕が。遠くでカメラを回していたスタッフたちは、僕がトイレにでも行ったんだと思っていたようで、まぁひどい話ですよ。
一方、僕はといえば、車に乗せられて山奥に連れて行かれました。相手側に僕が誰だかわかってしまい、「これロケか!? てめぇの家族、皆殺しにしてやるからな!」「放送なんかするんじゃねぇぞ!」とすごまれ、「絶対に放送しません!」と平謝りをして命カラガラ帰還したんです。
これにはスタッフ一同、「大変だったな。苦労させて悪かった」と、お蔵入りを承諾。ところがです。次の週、スタジオ収録ではあのロケの映像が流れるじゃないですか。プロデューサーは「大丈夫だろ、やっちゃおう」とひと言。結局、あの忌まわしい映像が放送されてしまいました。
まあ、あの時は身も凍る思いをしたわけですが、この話には後日談がありまして。先日、ウォーキングをしていたら、「あの時のホストだ」っていう方から声をかけられんたです。「いつぞやは悪いことをしました」って謝られたんですよ。でもね、なんとなく僕の中ではモヤッとしているというか、ハッキリしないんです。だって、解放された時に何発も飛び蹴りをされているんです。その時の顔っていうのは朧気だけど、覚えています。その顔と違うんですよね。その声をかけてきた方は柔らかい表情の方だったので、今でも、半信半疑なんですよ。
再会といえば、同番組で「バツイチになりたい!」っていう企画もありましてね、当時はバツイチっていうのがなんだかカッコイイって風潮があったもんですから、僕と結婚してバツイチになりたい女性を募集したんです。そこで成立した女性と入籍して、3日後に離婚しました。野球にたとえれば、まるで江川さんの空白の1日みたいな感じですよね。そもそも番組の企画だから、恋だとか愛だとか、そんなものが芽生える時間さえなかったんですけれど。
でも、10年ほど前ですかね、伊丹空港に行った時、不意に現れた女性から「元旦那! 私だよ」って声をかけられたんです。ちょっと恥ずかしかったですけど、「元女房!」って返しました。生きているとこんなうれしい再会があるんだなぁって、感慨深いものがありましたね。
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Source: 芸能トピ