確かに、「痴漢」は世界中にある犯罪だ。筆者もエジプトのバスで、混雑しているのをいいことに、女性をまさぐっている男性をいさめたことがある。ちなみに、この男性は注意をしても筆者の目をにらみ返して、悪びれることなく行為を続けていた。高校生の時、満員のJR総武線で注意した痴漢とまったく同じリアクションで、世界のどこにもこういう人がいるものだと驚いたものだ。
そういう意味では、確かに水原さんの発言は事実とは違うのだが、一方でそこまでボロカスに叩かれほどのでまかせでもない。欧米ではかれこれ半世紀以上前から、水原さんのような「日本?ああ、CHIKAN文化のある国ね」という認識の人たちがいるのだ。
なぜかというと、文学作品や外国人の日本紀行文などで繰り返し、「日本のCHIKANは独特」というイメージが広まってしまっているからだ。
わかりやすい例が、1979年のカンヌ映画祭批評家週間に上映された後、ロンドンやロサンゼルスの映画祭でも話題となり、国際的にも高い評価を得た横山博人監督の映画「純」だ。本作は、「世界よ、これが日本のCHIKANだ」ということを知らしめた作品としても知られている。
なぜかというと、主人公の純という男性が痴漢だからだ。恋人には指一本触れることはできない純は、朝夕の通勤電車では痴漢行為を繰り返す――というストーリーなのだが、その設定もさることながら、欧米の人々が衝撃を受けたのは、劇中に登場する「被害者」たちが、「てめえ!なにしてんだよ!」と怒鳴るわけでもなく、肘鉄を食わせるわけでもなく、この卑劣な行為に耐えていたことだった。
実際、そのような欧米人の反応を、「週刊明星」(1980年9月)が「痴漢されて一番しとやかなのはニッポン女性」という記事の中で紹介している。
こういう「CHIKAN」のイメージが残念ながら、とっくの昔から世界には広まっている。だから、イギリスやカナダでは日本に観光する自国民に「通勤電車内の女性乗客への不適切な接触やchikanの報告は、かなり一般的である」(英国政府公式サイト)と注意喚起していたこともある。フランスでは2017年に、日本人女性が自身の中高生だった時の痴漢被害体験をつづった小説「TCHIKAN」(痴漢)が大きな話題になっている。
つまり、電車内などで女性の体を触るという性犯罪は世界中で見られる普遍的な現象なのだが、日本の「CHIKAN」はかねてから、そういうシンプルな性犯罪と一線を引いた「独特の文化」と見られているのだ。そういう意味では、水原さんの発言はそれほどデタラメではないのだ。そこで次に気になるのが、どのあたりが「独特」と思われているのかだろう。
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2022.11.3
https://diamond.jp/articles/-/312289
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Source: 芸能トピ