ちなみに、ボーカルの玉置浩二はソロとして96年と2020年に出場して「田園」を歌った。今回はグループとしてのデビュー40周年が決め手のようなので、曲目は85年にも披露した「悲しみにさよなら」あたりだろうか。
この件に限らず、今年の「紅白」をめぐっては、80年代に活躍したアーティストの出場が盛んに取り沙汰されている。松田聖子に中森明菜、小泉今日子、工藤静香などなど。いわゆる80年代アイドルの名前が次々と挙がる状況だ。
このうち、明菜と小泉は安全地帯と同じ82年のデビュー。この年はアイドルの当たり年で、その先陣を切ったのが松本伊代だった。今年1月には「うたコン」(NHK総合)でデビュー曲の「センチメンタルジャーニー」を披露。夫のヒロミも伊代とのことを歌った「神様との約束」という曲を出し、5月に「うたコン」で歌った。このふたりが「紅白」に出る可能性、少なくとも伊代が出てヒロミが応援に駆けつけることくらいはあり得そうだ。
じつは最近「紅白」は80年代にこだわっているように見える。2015年に聖子と近藤真彦がトリを務めたあたりからその兆しはあったが、それが加速化してきた感じだ。昨年も薬師丸ひろ子が「対戦相手なし」という特別扱いで登場。「Woman”Wの悲劇”より」を歌唱した。
では、このこだわりはどこから来るのか。
最大の理由は「紅白」の歴史において80年代(厳密には、80年代の半ばまで)が黄金時代の最後に位置するからだろう。視聴率でいえば、公式データのある最古の回である1962年が80.4%。そこから85年まで、60%を切ることはなかった。
しかし、89年に二部制の導入で時間枠が拡大され、懐メロの多用や外国人アーティストの招聘など、試行錯誤が目立ち始める。それでも視聴率は回復せず、第一部よりは高い第二部にしても、90年代からゼロ年代にかけては2人にひとり、昨年はいよいよ3人にひとりが見ているというレベルにまで落ちてきた。それなりに高い数字とはいえ、国民的番組としては物足りなくもある。
その背景には、同時代的なヒット曲の不足や大みそかにテレビを見る人の減少といった要因も。つまりは音楽の嗜好(しこう)や生活スタイルの多様化によるものだ。それでも、国民的番組を続ける以上はそれにふさわしい数字や注目度を維持したいし、あわよくば盛り返したいのだろう。
そのため、最近の「紅白」は高齢者向けから若者向けにシフトもしてきた。とはいえ、若者はあまりテレビを見ないので、その中間をとって、80年代あたりを好む層に狙いが定められているというか、希望を見いだそうとしているのではないか。
なお、黄金時代という意味では70年代もそうだが、もはや古すぎる。その象徴だった山口百恵も、担ぎ出せないままだ。
その点、80年代ならまだいける。何しろ、その象徴でもある聖子が還暦とはいえ、それなりに健在だ。昨年は娘である神田沙也加の急逝により、出場辞退となったが、その分、今年出場すれば話題と感動を呼ぶだろう。
その勢いで彼女以外にも80年代的なものをどんどんぶち込めば、そこそこ盛り上がりが期待できるかもしれない。
また、聖子が最も輝いた80年代前半は「紅白」の音楽的な試行錯誤がかなり奏功した時代でもある。どういうことかというと、日本の音楽には「紅白」的なものと非「紅白」的なものがあり、後者をどう取り込むかが「紅白」の一大テーマなのだ。
たとえば、60年代のGS(グループサウンズ)ブーム。ザ・タイガースやザ・スパイダースには対応しきれなかったが、その後、沢田研二や堺正章を「紅白の顔」にすることができた。
そして、70年代のニューミュージックブーム。テレビとの接点が少なく、当時の中高年層にはなじみが薄かったこのジャンルに対応するため、78年にはニューミュージックコーナーが設けられた。庄野真代、世良公則&ツイスト、サーカス、さとう宗幸、渡辺真知子、原田真二が続けて登場、歌い終わったあとにステージ上で整列して紹介されるという異例の趣向である。
ある意味、苦肉の策だったが、翌年にはさだまさし、サザンオールスターズ、ゴダイゴが登場。「紅白」が誰より出したかったとされるアリスには何度も拒否されたものの、のちには谷村新司や堀内孝雄も常連になっていく。それはこうした努力が実を結んだということでもある。
※以下引用先で
AERA10/30 11:30
https://dot.asahi.com/dot/2022102800018.html
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Source: 芸能トピ