たとえば、監督からよく、「あなたはどうしたいの?」と意見を求められます。それに答えられないと立派な主役とは見なされません。
連ドラは主演俳優を中心に動く風潮があります。視聴率も気にしなければいけません。主演俳優はさまざまなプレッシャーと向き合うものなのです。
私はデビュー2年後の1993年、『悪魔のKISS』で初めて連ドラの主役のひとりに起用されました。以降、ほぼ途切れることなくドラマに出演し、連ドラの主演を7連投したこともあります。
通例では1回主演したらワンクール空けるものなのですが、若かったからでしょうか、私は限界まで走り続けてしまいました。
とりわけ、『愛していると言ってくれ』(1995年)のときは忙しかった。
早朝から夜中まで撮影があり、私は聴覚に障がいのある画家(豊川悦司)の恋人役だったので手話を覚えなければならず、夜中に家に帰ってから手話の練習をして、そのあとお風呂に浸かりながら夜食を食べたり、セリフを覚えて演技プランを練ったり、という日々でした。
そのようにドラマに出続け、疲れ切った私を目覚めさせてくれたのが映画でした。
香港映画『もういちど逢いたくて~星月童話』(1999年)で香港のトップスター、レスリー・チャンの相手役を演じてから、映画出演の機会が増えていきました。
これはあとになって腑に落ちたことですが、映画というのは監督のもので、俳優はコマに徹します。主演俳優が現場を動かすことはありません。じゃあ俳優のプライドは? と思った時期もあります。
でも、あるとき、はっきりわかりました。監督から想定外の演出を告げられたり、現場が不測の事態に見舞われたとき、どのように対応できるか。それが俳優の腕の見せどころではないのかな、と。
大林宣彦監督の最後の作品になった『海辺の映画館―キネマの玉手箱』(2020年)に出演したときのことです。
大勢で歌って踊るシーンがありました。台本に沿ってみんなで練習を重ね、本番の前日に大林監督に見てもらいました。監督は「ま、基本はそんなところだね」と言ったのですが、本番で監督から出た指示は、曲も踊りもそのフォーメーションもまったく違うものでした。
さすが大林監督。常識になどとらわれない人です。
私たちも覚悟を決めて、監督の演出のもとでコマになり、なんとか対応できたときの嬉しさは格別でした。
コマに徹しても輝くのが俳優。それがデビューして32年目を迎えたいま、私が感じていることです。
9/30(金) 11:07配信
現代ビジネス
連ドラは、主演俳優を中心に動くもの
撮影/大木茂
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a2707d655d5a3554d90893a6fc04beabfda1b65?page=1
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Source: 芸能トピ