まさに人気絶頂の最中での出来事だった。そんな伊藤さんが公開中の映画『冬薔薇(ふゆそうび)』でスクリーンに帰ってきた。事故からの日々と、これからを語る。
◆芝居の現場にもう一度立てた
公開中の映画『冬薔薇』は2021年の11月に撮影しました。
その前に『SOULFUL SOUL』という舞台に立たせていただきましたが、映像の仕事をするのはほぼ1年ぶりです。
お休みしていた1年間は、自分にとって5年、10年にも感じられる長さだったので、最初に撮影現場に入った時は緊張したし、怖さもありました。
俺、どうやって現場に入っていたっけ……とかいろいろ考えてしまって。
でも久々に現場に立ってみたら、喜びのほうが大きかった。芝居をする場にもう一度立てたこと、作品に携わり、自分と仕事してくださった方々には感謝しかありません。
正直、こんなに早いタイミングで映画の仕事ができるとは思っていませんでした。映画の配給会社からお話をいただいた時は、もちろんすごく嬉しかったのですが、実現しないのではと、どこかで諦めていたんです。
あの事故以来、お声がけいただいても、立ち消えになってしまうことが多かったので……。
僕がしてしまったことや、それをめぐる世間の声やイメージを考えれば当然です。声をかけていただけるだけでも十分ありがたかった。
だから今回、本当に撮影に入れると決まった時は、言葉では表現しがたいくらい嬉しかったです。
◆ファンの声に力をもらって
この1年、ずっと思っていたのは、笑っていいのかなということでした。今でもそう思う時があります。自粛中は東京を離れ、千葉の海岸近くで、一人で過ごしていました。忙しくてベッドで眠る時間すらなかったそれまでの生活が一変し、考える時間だけはたっぷりある――というか、考える時間《しか》ない。
今までの自分はどうだったのか、これからどうなっていくのか。役者をやめたいとは思わなかったけれど、もう芝居の世界には戻れないかもしれない。役者以外に自分がやりたいことは何だろう……と考え続けました。
ファッションや絵など、好きなことはたくさんあります。でも、やりたいことは芝居以外に一つも見つからなかった。僕は14歳でこの世界に入り、アルバイトすらしたことがなくて、本当に世間知らずなんだと実感しました。同時に、自分が役者という仕事をどれだけ好きかを再認識したんです。
それで21年6月、芸能活動再始動と、ファンクラブの設立を発表しました。ファンの方たちは、毎日のように激励の手紙を送ってくださったり、中には厳しい声もありましたけど、「引き続き応援するから頑張って」という声をたくさん届けて、支えてくれました。
心配をかけてしまったファンの方を、僕が楽しませることができないか、という思いでファンクラブを立ち上げたのです。
初のファンミーティングで実際に500人ほどのファンの方たちと対面した時は、「おかえり」「頑張って」という声をかけられ、心の底からありがたいと感じました。
また、今年の5月に源義経役で参加した岩手・平泉での「春の藤原まつり」も、僕にとっては大きな出来事でした。ファンの方以外にも、びっくりするくらいの人数の方が集まってらして。
自分を知らないであろうご年配の方も含め、その場にいた多くの方から「頑張れ!」の声をいただき、ものすごく力をもらったんです。
これだけの方が応援してくれているならば頑張ってもいいのかなと、自信と勇気にがりました。
事故を起こした事実は変わりませんし、そのことに誠心誠意向き合っていくつもりです。そういう現実を経た今の自分を求めてくださる方や、仕事の現場がある。
それなのに自分がいつまでも立ち止まっているのはかえって皆様に失礼なのではないか、もっとたくさんの方に求めていただけるように頑張らなければ……。最近はそう思えるようになりました。
以下、ソース
伊藤健太郎「この1年、ずっと〈笑っていいのかな〉と思っていた。やりたいことは芝居以外一つも見つからなかった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c60a0abee669913c0e7d5f9c3def240d7c8dc47
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Source: 芸能トピ