物語全体が多層的な意味を含んでおり、特に結末(ラストシーン)は、観る人によって無数の解釈が存在し、劇場公開中もさまざまな意見が飛び交いました。 実際、製作陣はどのようなメッセージを込めたのでしょうか? この記事では、2019年2月に行われたティーチインイベント(観客との質疑応答)における是枝監督の発言を基に、その意図を解説していきます。
※以下、「万引き家族」の重大なネタバレに言及しています。本編鑑賞前には絶対に読まないでください。
中略
【クライマックスで描かれたこと】
祥太がスーパーで万引きし、ケガしたことで、ゆり(りん/じゅり)の誘拐が発覚。一家は離散する。祥太は施設へ、ゆりは実の母親のもとへ戻される。
一家における事実(治と信代の関係性など)が明らかになり、事件は終わりを迎える。ゆりは母親から「お洋服買ってあげるから、こっちへおいで」と言われるが、首を横に振り拒否する。
その後、治と信代は疑似家族の幕引きを決意。祥太にそれぞれ別れの言葉をかける。祥太もスーパーではわざと捕まったことを告白。バスに乗り遠ざかっていく祥太を、治は名前を叫びながら追いかける。
ラストシーンは、ゆりがアパートの玄関前で、また1人で遊んでいる場面。柵の上に頭を出し、外の景色を眺める彼女の眼差しをとらえ、映画は終わる。
【是枝監督が語ったラスト…“ゆりが柵の外を見つめた意味”とは?】
19年2月のティーチインイベントでは、やはり結末に関する質問が多く寄せられました。
特に、ある観客は是枝監督にこう問いかけます。「家族をフィーチャーした映画ならば、リリー・フランキーさんと城桧吏くん(治と祥太)の“別れ”で終わるのが自然だったのかと思いますが、あえて佐々木みゆちゃん(ゆり)が1人でいるシーンで終わらせた理由は?」
これに対して、是枝監督は“子どもの成長”が理由にあると答えました。
「祥太のなかに芽生えた倫理観が、家族を内側から壊します。一方“(本物の)家族”のもとへ戻ったゆり、彼女には首を振るという意思が芽生えています。(ラストで)彼女が見ている(柵の外の)風景は、映画の冒頭で“隙間から見ているもの”よりも広い。前向きな終わりというと言い過ぎかもしれませんが、『あの視界の先に私たちがいるかもしれない』ということをオープンにしたつもりです」
【ゆりが施設ではなく、実母のもとへ戻された理由は?】
ゆりは、また母親からネグレクトされるのでは?という疑念も生まれます。是枝監督はこの結末で、“ある問題点”を明らかにしたのだと言います。
「ヨーロッパ(での上映)では、ゆりが実の母親のもとへ戻されるという展開に対して、一番驚いていた。虐待の事実がわかっているのに『なぜ帰す? 理解できない』と随分言われた。色々な形があるとは思いますが、確実に親から切り離すという手段が『普通だ』と感じるのでしょう」
「でもリサーチを進めるうちに、(虐待されていた子どもを)親のもとへ戻さざるを得ない状況というのは結構あったんです。養子縁組、里親制度が浸透していかないので、施設に留めておけなくなった時に(戻る場所が)実の親のもとしかなくなってしまう。そして結局虐待を受けて、施設に戻ってくるケースがすごく多い。この問題点があったものですから、(ラストの)実母のもとへ戻すという設定をとりました」
全文はソースをご覧ください
https://eiga.com/news/20220611/14/
2022年6月11日 21:05
https://eiga.k-img.com/images/buzz/97047/61b16e512309ed58/640.jpg
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Source: 芸能トピ