(略)
「2011年頃から、バンド活動におけるライブチケットやグッズ販売の収益を、DAITAさんが代表を務める会社で一元的に管理し、支出などを精算した上でメンバーに均等に分配していました。
ですがあるとき、清算書に違和感を覚えた4人が内訳を調べたところ、自分たちへの分配額が少なく操作されているように感じた。4人は2021年5月にDAITAさんと彼の会社を相手取り、過去に遡って本来支払われるべきだったギャラが払われていないと主張し、遅延損害金の支払いを求める訴訟を起こしました」(前出・音楽関係者)
双方の言い分は平行線をたどり、和解まで3年4か月を要した。
「最終的に、バンドのグッズの制作・販売などを行っていた第三者の協力企業が、それぞれに解決金を支払うなどして和解が成立しました。和解条件には記載されませんでしたが、裁判官を交えた弁護士同士の話し合いでは、SIAM SHADEは“これからも5人のバンド”であることが確認されたものの、円満解決といえるものではなかったようです」(前出・音楽関係者)
そうした経緯があり、リーダーによる「報告文」に至ったようだ。実は、同時期に彼らが深くかかわる裁判がもう1つ開かれていた。
SIAM SHADEは2011年の復興支援ライブで得たチケットの売り上げなどの収益金を寄付していた。
「当初、メンバーらは日本赤十字社に寄付することを考えていました。ですが、過去にバンドが所属していた事務所社長からのアドバイスや、DAITAさんの知人が復興支援を目的とした団体を立ち上げようとしていたこともあり、DAITAさんがこの一般社団法人に寄付してはどうかと4人に提案しました」(前出・音楽関係者)
この法人を仮に「A」としよう。提案を受け入れた4人は、「A」が2011年12月に設立されると、分配されていた収益金から1人600万円ずつ寄付。翌2012年10月、リーダーのNATCHINは追加で201万9160円を寄付した。しかし、4人はDAITAが紹介した「A」に疑いの目を向けた。
「『A』は震災翌年から、実際に復興支援活動を行っていたようです。2012年1月以降、復興支援活動の一環として、被災地の若者の雇用推進のためにネイルやつけまつげの施術を行うサロンを2店舗、飲食店を1店舗運営していました。
しかし4人は、寄付金がサロンや店の運営資金として利用されていることを不服として、寄付した約2600万円全額の返金を求めて『A』と代表者を提訴しました。この提訴は、DAITAさんにも寝耳に水だったようです」(前出・音楽関係者)
これに対して「A」は「寄付金は復興のために使った」と主張。双方の言い分は法廷に持ち込まれ、2022年10月に判決が下された。
「裁判所は、『A』が生活必需品の配布など復興支援活動を行っており、ネイルサロンなどの運営は被災地における“雇用創出の一環”だとして、メンバー側の請求すべてを棄却しました」(前出・音楽関係者)
復興支援のために寄付したお金を取り戻そうとしたメンバーと、DAITAの距離は、そうした裁判を経て精神的にも物理的にも離れていったのかもしれない。そして先日のNATCHINの報告で、メンバー間の溝は世間にも知られることになった。
「楽曲には罪はないですから、いつかは曲をファンの前で披露したいという思いがメンバーにはあるでしょう。ですが、2つの裁判や和解後の彼らの動きを考えると、DAITAさんとメンバーが距離を縮めるのは難しいと言わざるをえないのではないでしょうか」(レコード会社関係者)
2025年にSIAM SHADEはデビュー30周年を迎え、同時期にデビューしたバンド「SOPHIA」との合同スペシャルライブが、来年2月に予定されている。
「いまのところDAITAさんにはライブに関しての相談、参加を求める連絡は届いておらず、困惑しているといいます。“SIAM SHADEは5人のバンド”として活動する約束はどうなってしまうのでしょうか」(前出・レコード会社関係者)
12月上旬、DAITAの代理人弁護士にコメントを求めると、「何も答えられません」とだけ話した。一方、NATCHINに寄付金の返済を求めた訴えが棄却されたこと、今後は4人での活動が増える理由をメールで質問したが、期日までに回答がなかった。再び5人そろってステージに立つ可能性は、3分の1もなさそうだ。
全文はソースで
https://www.news-postseven.com/archives/20241209_2010123.html?DETAIL
続きを読む
Source: 芸能トピ