22年11月、前回の東京ドーム公演では、2日間計8万人を動員と発表された。アリーナの通路には空間があったように見えた。一部のスタンド席は使用されていなかった。ライブ後、周囲には「これではメンバーもファンも現実を思い知らされてしまう。東京ドームでやる必要はなかった」「厳しいがグループに勢いを感じない」などと話すメディア関係者もいた。同年末には「NHK紅白歌合戦」連続出場も途切れた。
次から次へと新しいタレントが生まれる芸能界で、一度勢いの落ちたグループが再浮上するのは非常に難しい。流行り廃りの顕著なアイドルグループはなおさらだ。なぜ櫻坂46は不可能を可能にできたのか。いくつもの要因が絡み合っているのは間違いないが、ここでは主に4つ挙げてみたい。
<1>選抜制度の導入による切磋琢磨(せっさたくま)
欅坂46時代は基本的に一期生全員で表題曲を歌う“全員選抜”がとられていたが、櫻坂46ではまず「櫻エイト」と「BACKS」に別れる独自のシステムが敷かれた。表題曲から漏れるメンバーもいる一方で、「BACKS」による「BACKS LIVE!!」もスタートし、シングルごとに熱気にあふれるステージを披露していった。三期生が表題曲に合流した昨年10月の7枚目シングル「承認欲求」からは、表題曲歌唱メンバーは完全に選抜メンバーのみとなり、より競争が激しくなっている。
<2>センター経験者5人の覚醒
櫻坂46のファーストシングル「Nobody’s fault」でセンターを務め、常にトップクラスの人気を誇る森田ひかる(22)をはじめ、田村保乃(25)山は崎天(18)藤吉夏鈴(22)守屋麗奈(24)の5人がシングルセンターを務め、それぞれ全く違う魅力を持つ絶対的な存在に成長した。センターに立つごとにお互いが支え合い、刺激し合い、壁を乗り換えていった。この5枚看板を中心に、欅坂46時代も経験している二期生たちにグループ中核を担う自覚が増し、揺るぎない地盤が完成した。
<3>粒ぞろいの三期生
昨年1月に加入して2年目の三期生11人が、めきめきと頭角を現している。新曲「自業自得」センターの山下瞳月(19)はじめ、既にグループには欠かせない存在となったメンバーも多い。シングル表題曲への合流も比較的早かったが、パフォーマンスは実に堂々としたもの。先輩たちと交流しながらスキルを磨いている。今後も三期生からセンターやエースが何人も生まれそうな予感もある。
<4>「Start over!」のスマッシュヒット
欅坂46時代から一期生が築き上げてきた礎の上に、独自の世界観を貫く楽曲(作品性)は櫻坂46の根幹だ。表題曲だけではなくカップリングやアルバム曲も名曲ぞろいではあるが、特に昨年6月発売の6枚目シングル「Start over!」のヒットは大きかった。ルールや規則にとらわれず無邪気に解放していく姿を表現したナンバー。発売初週で43・9万枚(オリコン調べ)を売り上げ、シングル6作目にしてファーストシングルの記録(40・9万枚)を抜き、改名後最高記録を更新した。「BACKS LIVE!!」も経験して一回り大きくなったセンターの藤吉も完全に覚醒。ライブでもテッパンの、代表曲の1つとなった。
さて二期生や三期生の名前ばかり出してしまったが、さまざまな困難に直面しても心折れずに欅坂46、櫻坂46とグループを引っ張り続けてきた一期生たちにももちろん、頭が下がる思いだ。櫻坂46改名で一度世間的な認知度が下がったところを、後輩たちが一人前に成長するまで、一期生が地力と人気で支えて集客を保ってきた。
そもそも、16年のデビューから4年連続で紅白に出場してきた人気グループが改名すること自体が異例だった。欅坂46としてのシングルが発売されず、コロナ禍に入り有観客ライブもできず、新たに櫻坂46となった20年当時、メンバーたちは先が見えない状態でも自分たちを信じて走り出した。ここまでのV字回復を想像できた関係者が、果たして何人いただろうか。
月並みな表現だが、何か1つでも欠けていたら今回の東京ドーム超満員には至らなかったのだろう。昨年はグループ初の海外公演や、千葉・ZOZOマリンスタジアムでの初野外スタジアム公演なども成功させ、紅白にも返り咲いた。今年も11月にZOZOマリンスタジアムで4周年ライブを開催する。芸能界の常識を覆す成長曲線で、さらに多くの人々を魅了していく。【横山慧】
日刊スポーツ7月1日5時0分
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202406240001054.html
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Source: 芸能トピ